http://navy.blog.shinobi.jp/%E3%81%96%E3%81%A3%E3%81%8D/%E8%AA%AC%E6%95%99説教
さて、インドネシアネタもひっぱりすぎなので、
この辺で打ち止めにしときます。
あとはまたネタが無くなったら、思い出したようにあげます。
で、インドネシア締めくくりのネタ、そして、現在の俺に通じるネタ。
このブログで「就活します」と宣言しておいて
それをまったくやってない理由を書いてません。
実は、このインドネシアで「しない」ことに決めたんです。
インドネシアに行った最大の理由は
父親から
説教をくらうことでした。
この人は、俺の人生の岐路に
必ず説教をします。
まあ一方的に怒るとかではなくて、
ながーく人生論を語られるわけです。
ただ、その言ってる事が、数年後現実に起こったりするので、
聞き流す訳にはいきません。
行く前から「まあ、あるだろうな」と思ってたんですが、ありましたね。
今回のテーマは一貫していて
「薬(ヤク)と医者から手を切れ」
というものでした。
「くすり」を「ヤク」と表現するところが父親らしいと思いましたし、
俺自身、薬を服用する前はその感覚だったので、それを思い出しました。
当初、俺は医者にいくことを1年ぐらいこばみました。
大学のカウンセラーからは即医者行きを宣告されたのですが、
「薬を飲みながら仕事をすること」
に俺がかなり批判的でして、長いこと薬無しで仕事をしてました。
で、結局飲んでしまったんですが、いまとなっては
「あのとき辞めてれば・・・」
と多少悔やむ部分があります。
というのも、薬を飲む前からわかっていたことなんですが、
薬は決して悩みを解決するわけではありません、
なので、結局気分が上向きになってもまた悩み鬱になる、
そうなるとまた薬の量が増える、
という悪循環を生むだけなのです。
父がヤクという表現を使ったのはまさしくこの部分。
そしてもうひとつ重要なことが
「いまのお前は少なくとも俺が一緒に仕事をしたかったお前ではない。」
えー、病気のことというより、これは性格面の問題。
大学受験のときセンター試験で大失敗をした俺は、
当初浪人を希望しました。
ただ、そんときに大阪の私大に受かっていて、
父はそちらに行くよう俺を強く説得しました。
これは大学の名前がどうとかそういう問題ではない。
というのも、高校時代までの俺は「社交性」ってもんが欠けていた。
少なくともイベントごとに積極的に参加することはしなかった。
で、大阪、つまり都会の大学にいってなにを学んできてほしかったか、
そして、サークルに明け暮れて、勉強をろくにしなくても何も言わなかったか、
それは「人間性を育てる」という一点だった。
大学卒業時の俺は少なくとも
「父が一緒に働きたいと思える人間」
に成長していた、そうである。
そして、そのことは大学を出たあと、俺も痛感した。
あのサークルがなかったら、いま俺は生きてないかもしれない、とまで思う。
ただ、大学院、とくに博士後期課程に進んでからは、
どうもこの大学時代の逆をやってしまってたようです。
もちろん、それがいけなかったわけでは無かったと思うのですが、
まあ、結局病気になってしまったってことは、合ってなかったんだな。
ヤクで生かされている俺は俺じゃない、
いまの俺は俺じゃない。
俺が「就職活動を始める」と父に言ったとき
「バカヤロウ、誰がお前なんか雇うか。
先にヤクから手を切れ、そんな死んだ目のやつに
仕事なんかまかせられん。」
と辛辣な一言をくれたのは、ありがたいことだと思います。
というわけで、あっさりと方針転換。
いまは「仕事よりもとりあえずヤクから手を切る」
ってことで動いてます。
3月後半からこっち、結構ブログが空いていたり、
眠れなかったり起きれなかったりというのは、
実は薬を減らしたことによる「禁断症状」との闘いもあったためです。
現在はかなり楽になってきました、
少なくともコンビニで動悸が跳ね上がったりしない(あれは禁断症状だったのね)。
まあ、この先はアルバイトは探すとして、
でも、もしかしたら、まどろっこしくいかず、薬が無くなったときに
就職活動に入るかもしれません。
実は心優しい友人たちが、仕事紹介するよ、みたいに言ってくれてたんですが、
迷惑をかけないためにも、まず病気を治します。
# 父の助言でもあります。
そのあとは頼み込むかもしれませんが・・・、そのときはよろしく・・・。
父親からはこうも言われました。
「そういってくれる友人がいるってことは、少なくともお前のことを買ってるわけだから
そういう部分で自信を取り戻しせ。」
そゆこと。
長くなったね、ではインドネシア追憶、これにて終わり。
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