http://navy.blog.shinobi.jp/%E3%81%96%E3%81%A3%E3%81%8D/n88-basicN88-BASIC
そこは昔住んでた家の一室.
楽しそうにPC-8801をさわる若い父と子供の俺がいた.
俺は必死にその風景に手を伸ばしたが
そこには透明の壁があって
殴っても叩いてもびくともしなかった.
俺は何かを叫びながら必死にそちらの世界に行きたがってた.
でもその風景はだんだんと遠ざかり消えていった.
俺はその場で泣き崩れた.
「なんでこんな自分になってしまったんだ」って.
なぜかBGMは「Amazing Grace」(唯一の笑うポイントです)
# 参照:白い巨塔(唐沢さんのやつ)
そっか,ようやく死ねるのか俺,
と思い意識が遠ざかった.
気づくと,
そこにはひきこもっている部屋と
涙があふれている俺がいた.
「夢」だったとわかった.
むなしさとともに
「こんなのもう嫌だ,早く死にたい」
と,現実でもうめきながら泣いた.
・・・・・・・
そしていまなんとかPCの前に.
こんな夢をみるのは少し前にもらったメッセが
原因かもしれない.
大学院時代の恩師が定年退官を迎えるので
一緒に会いに行こう,
他にも同期の〇〇とかがくるよ,
という先輩からの誘いだった.
俺は
「現状玄関から出るのもできないのでとても行ける状態じゃない」
とお返事したが,
もっと正直にいえば
「働いてないし,普通(とは何かはさておき...)の人生を
おくる人たちと一緒に楽しむことができるわけない」
といのが本音かな.
まあ,駅に向かう途中で動悸と過呼吸で
どうにもならなくなるのは確かだと思うけど,
たとえそれを乗り越えて大学院までたどりついても
「辞めなければ,いまごろどうしてたか」
「研究はどのあたりまで進んでいるのか」
とか考えて,
病気が悪化する未来しか見えなかったのもある.
実は,3年前くらいに定年で退官の情報は得ていた.
というのも,
「先生が私に会いたがっている」
という連絡が同先輩経由できたので
「先輩を含め3人だけなら
精神面の影響少なく会えると思います」
と返事したら,東京で飲み会をやることになった.
会いたがってた理由は
「俺(教授)の任期があと3年しかないから,
博士とるなら来年度入学しないと間に合わないぞ」
というものだった.
そう,「いつか帰ってこい」って送り出たことを
いまでも覚えてくださっていて,
ずっと気にかけていたらしい.
そして
「君が発表した(海外の)学会報告が多くの論文などで参照されている」
「それを論文としてまとめるのをやってほしい」
「博士号がとれる実力は確実にある」
などの話をしてくれた.
すごくうれしかった.
が同時に,いや戻れないよ,金ないし,
という現実もそこにはあった.
そのため社会人コースを考えてみたのだが
5年かかることがわかって,これは却下.
まあ,俺の性格上(発達障害の影響ともいえるようになった)
2つのことを同時にはできないとおもっていたので
そもそも却下ではあるんだけど.
おそらく研究ばかりして,仕事が手につかなくなる.
では,もう一度博士課程に入り直すことになるのだが
入試日程を調べると,
すでに次年度4月入学の博士課程入試は終了していた.
まあ,博士号取得は優秀なら2年半とかでできなくもないのだが
# 10月入学を実施している大学院で
# その入試はギリギリ間にあうタイミングだった
短期取得については飲み会で先生と話していて
実力はあるけど,実績面から考えると
やはり3年はかかると思う,
ってのが結論だった.
(補足)
うちの大学院の博士号の取得要件は
(きっちりと記載などがある訳ではないが)
ある程度世界的に認められる「査読あり」の学会で
研究発表(ポスター発表の場合ポイントが減る)を数本と
ジャーナル(論文誌)への掲載(できれば全世界で発行されるのもの)
が必要である.
あと,これは修了の必須単位に含まれるのだが
所属しているとことは別の同分野の研究室や研究機関にて,
半年から1年(成果が出るまで)研究を行う必要がある.
要は,担当教官以外で同様の研究をやってる研究者と
共同研究をおこなうってことかな.
で,候補先はある程度しぼられるのだが(同分野の研究なので)
先生曰く,現在の候補がアメリカの大学とのことで
準備から研究までを考えるとそこそこ時間がかかる
というのがわかる.
となると,実際に担当教官の下で研究する期間も考えると
(十数年分の進捗に追いつくことも必要だし)
3年でギリギリまにあうかどうか,ってとこらしい.
(補足終わり)
ということで,どうあがいても
いまから博士号取得は無理なことがわかった.
そのことをお礼を含めて先生にメールしたが
入学が無理なら博士号のことはいったんおいといて
それでも研究に携わっていてほしいというものだった.
そのころはちょうど,監視役のいない,
「超」裁量労働の職場(少し前の記事に書いてます)だったので
隠れて,その参照してくれている論文などでも読もうかな,
といろいろ動き始めた.
そしたら,その後すぐくらいに
会社から事実上の倒産を知らされた.
でも,まだそのころは
「これで実家で堂々と論文読み放題」
と思ってたりもしたのだが,
いざ実家で論文を読み始めると,
動悸,息切れ,など様々な症状があらわれた.
おそらく,
「仕事もしてないでそんなことしてていいのか」
というところと
「なんであのとき簡単に大学院を辞めたんだ」
という後悔の念がどっと押し寄せたからだと思う.
その後は,まあ体調悪化が一気に進み
ついには本も読めなくなり
(この辺は記事にしてる通りです)
そして今にいたる.
・・・
ほんと,俺の人生,なんだったんだろうと.
あのとき,父の使っているPCに興味を持たなければ
また違った人生もあったかもしれない.
大学入試で素直に父の意見に従わず
情報学部(学科)を狙えばよかったかもしれない
# 父から情報系を大反対され別学科を選んだ
大学院も2つ合格していたので
もう片方の大学院に行ってれば,
博士課程に進むことなく修士課程で就職して
まったく違う生き方ができたかもしれない.
わかってる,過去は変えられないのは.
だからこれは意味のないことだって.
でも未来は変えられるって言葉をくれても
「もう俺には何もする気力がないよ」
としか答えられないのだ.
それは病気が寛解すれば変わるのだろうか.
そもそも,寛解する日がくるのだろうか.
もう本当に死にたい.
それしか今は頭にうかばないので
ここにこうやって文章を打ちながら
でもやっぱり死にたい.
しにたいしにたいしにたい・・・
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